斑鳩寺御頭会(勝軍会)

御頭会の様子

2012年の御頭会の様子

100年くらい前の御頭会の様子

仏教を広めようとする聖徳太子が、それを阻もうとする物部守屋と合戦をしたとき、信貴山で自ら四天王の像を刻んで戦勝を祈願し、勝利したことにちなんで、お太子さんの荘園・鵤荘内から4人の男児を選び、それぞれ頭人として2月9日、16日、17日、18日に斑鳩寺にお参りし、聖徳太子さまの子供になって、健康な成長を祈る行事といわれている。

元々は斑鳩寺のお正月のお祭り(修正会)の中の行事の一つで、4人の子供たちは、荘民を代表する「頭人」として、聖徳殿の聖徳太子と講堂の釈迦・薬師・如意輪観音をお祭りした。

最近はなかなか頭人のなり手がなく行われていないが、鵤荘の聖徳太子信仰をあらわす重要な行事である。

御頭会の江戸時代前期の記録

『斑鳩寺記録』に記された、江戸時代前期の御頭会。

寛文8年(1668)の記事に、斑鳩寺の年中行事として、正月9日、16日、17日、18日に修正会が行われることが記されている。これが、明治以降、月遅れの行事として、2月に行われるようになった。

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