聖徳太子三尊像

かわいい聖徳太子二歳像(南無仏太子像)とご両親、用明天皇と穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の三尊像。江戸時代のはじめ、斑鳩寺の門前にあった中宮寺に安置されていた。
奈良の法隆寺の近くに聖徳太子とその母ゆかりの中宮寺があるように、斑鳩寺の門前にも中宮寺があった。しかし、延宝7年(1679)、斑鳩寺に吸収され、仏像等も斑鳩寺に移された。仁王門を入ってすぐ左にある山王社も、この時に中宮寺から移されたもの。この像も、『斑鳩寺記録』の記事から、中宮寺より移されたものと考えられている。
※聖徳太子は、数え2才の春2月15日、お釈迦様の命日の日に、誰に教わることなく、東を向いて合掌し、「南無仏」と唱えたと伝えられる。そのお姿をあらわした像が太子二歳像・南無仏太子像といわれ、代表的な太子のお姿の一つ。