聖徳太子絵伝


太子の誕生(第1幅右上部分)
この聖徳太子絵伝は、聖徳太子の一生のいろいろな場面を、その出来事のあった季節ごとに、花や青葉、紅葉や雪などの風物と一緒に、春夏秋冬4幅の掛け軸に仕立てたものです。年代順ではありませんが、短冊型(白い四角い枠)に書き込まれた年齢を手掛かりに追いかけると、幼い太子が凛々しい若者になり、威厳のある大人になっていく様子がよくわかります(太子は赤い着物を着ています)。
上の写真は、太子の誕生。太子のお母様・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)は、西暦571年の正月のある夜、金色の僧が口から体内に入る夢を見て、太子を身ごもりました。そして翌572年の元日、宮中をめぐって厩(うまや)の前に来たとき、急に産気づき、太子をお産みになりました。そのとき、西方から赤黄色の光が差しました(第1幅・春幅の一番上、右側に描かれています)。
この絵伝は、天文24年(1555)、湯浅河内守忠宗夫人・性渓妙本信女が、法隆寺の持つ鎌倉時代の絵伝を模写させて斑鳩寺に寄進したもので、人々の服装や習俗は、鎌倉時代の人々の様子を描いたものと考えられ、そういう点でも興味深い資料です。天文10年(1541)に全焼してしまった斑鳩寺の復興に当たり、聖徳太子に結縁するため、作成・寄進されたものでしょう。
なお、湯浅河内守忠宗は、当時の鵤荘の有力者の一人で、忠宗自身も、堂塔の再建にあたって、瓦などを寄進しています。また、法隆寺にあった鎌倉時代の聖徳太子絵伝は、嘉元3年(1305)、上野法橋・但馬房の手になるもので、明治のはじめに皇室に献納され、現在、東京国立博物館の法隆寺館に収蔵されています。