聖徳太子の投げ石 その1

  聖徳太子は、35歳の時、推古天皇の前で、勝鬘経(しょうまんぎょう)というお経を解説するお話をされ、よろこんだ天皇に、播磨のこの地をいただき、法隆寺に納めました。その地が鵤荘で、中世播磨の地誌『峯相記(みねあいき)』によると、太子はこの地に下って、荘園の四方の境に牓示(ぼうじ)の石を置き、寺を造って斑鳩寺(いかるがでら)と名づけ、行道の峯(檀特山・だんとくさん)に御馬をつながれたとあります。

やがて、このお話は、太子が檀特山から石を投げ、その範囲の土地をいただいたという話に変わって伝えられました。その檀特山の上から投げた石、「投げ石」と伝えられている石のうちの2ヶ所が、これらの石です。昭和46年(1971)4月、(その2)で紹介する平方の投げ石(平方牓示石)・鵤北山根の投げ石(福田の牓示石)とともに、鵤荘牓示石(いかるがのしょうぼうじいし)として、兵庫県指定文化財に指定されました。

いずれも鵤荘の境界付近にあり、昭和30~40年代に元の位置から動かされていますが、太子ゆかりの石として、大切に守られています。

東南の投げ石

東南の投げ石(矢田部牓示石)
兵庫県指定文化財

東出の投げ石

東出の投げ石(太田牓示石)

兵庫県指定文化財

東南投げ石

東南の投げ石は、山陽新幹線の南にあります。新幹線の側道に、ひまわりマークの案内看板がありますので、それを目印にしてください。

太田投げ石

東出の投げ石は、太田小学校のすぐ西、東出公民館にあります。隣には、子育て地蔵さんがあります。

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