お盆の火祭り
お盆の15日ころ、太子町周辺の各地で、火を焚くお祭りが行われています。なぜ火を焚くのでしょう。一つには、神霊は、夜、火を目印に訪れ、その火に見送られて帰って行くと考え、それがお盆の迎え火・送り火になりました。また、すべてを焼き尽くす火の力で災いを追い払おうと、稲の害虫を送り出す虫送りや雨乞いにも火が焚かれました。そして、夏の一夜に様々な理由で行われる火祭りは、互いに結びつき、影響し合って、村々で独特の形になり、今に伝わっています。
太子町の東端、原地区では、お盆の15日夜、一抱えもある大きな松明を担いで氏神・大歳神社の境内を駆け回り、松明が燃え終わると、若衆が拝殿に駆け込んで、太鼓を舁き上げます(原のたいまつ)。
かつては「ほーてんと、ほーてんと、雨を下され、ほーてんと」といいながら裏山から駆け下りて氏神社に駆け込んでいました。 檀特山の南、姫路市の朝日谷でも、お盆の15日夜、高さ12mほどの柱の先に竹籠を付けて小麦わらを詰めた柱松に、子どもたちが愛宕神社のご神火を移した小松明を投げ上げます(朝日谷の火あげ)。やがて柱松が燃え上がると、鉦を打ち鳴らしてその周りを駆け廻り、そして柱松を引き倒します。以前は若衆が行っていましたが、今は子供の行事として行われています。
姫路市太市西脇の破磐神社は広坂や鵜飼の氏神ですが、ここでもお盆の15日夜、厄年の男たちが浴衣姿で、ご神火を移した松明を振りながら舞殿に上り、「さあーゑんと、ゑんと」といって床やお互いの体をたたき合います(破磐神社の奉点灯祭)。
かつては、太市西脇の若衆の行事でしたが、戦後中断し、昭和60年(1985)に氏子全体の行事として復活しました。
また、平成27年(2015)、新庁舎落成記念に行われたお幡入れ・法伝哉も、かつては地域の住民のお盆の行事で、大きな松明を焚いて、斑鳩寺の境内を駆け回っていたことが古文書に記されています。
これらお盆の火祭りという行事をとおして、地域の伝統文化をゆっくりみつめてみませんか。

原のたいまつ

朝日谷の火あげ

破磐神社の奉点灯祭