大津茂川とお姫様(太子町に伝わる伝説)
むかし、楯岩城には十歳になる美しいお姫様がいました。ある、秋の夕暮れ時、三百もの敵兵士が攻め込み、味方は無勢で敗北したとの知らせが届きました。驚いた殿様は、大急ぎでお姫様に逃げるように命じ、お姫様が山をおり小船に乗って大津茂川を下りて、ちょうど浄因寺のあたりまできたときに山を見ると、城は焼け落ちみな討ち死にしてしまっていたのでした。お姫様は、あまりの悲しさに涙がとめどなく流れ、やさしい里人たちとの楽しい盆踊りや、秋祭りを思い出していました。「父や母、家来たちのあとを追って死のう。そして里人達のために大津茂川の主となって、川の流れが絶えないように守ろう。」と決心をし、大津茂川に身を投げたそうです。それから、大津茂川に水が枯れることはなくなったそうです。
「風土記の里太田民話の伝承 柳沢忠著」
お姫様がたどりついた浄因寺のページです。
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