学校案内
校訓
- やさしく(敬愛)
- 強く(健康)
- かしこく(自主)
教育目標
教育目標 「ふるさとを愛し、未来への道を切り拓く、こころ豊かな児童の育成」
学校経営の基本方針
(1)教育方針
自立して未来への道を切り拓く力の育成
「生きる力」を育む教育の推進
子どもたちの学びを支える環境の充実
(2)めざす児童像
・敬 愛 多様性を尊重しあい、思いやりと寛容の心をもつ子
・自 主 夢と志をもち、自ら学ぼうとする子
・健 康 自他の生命を大切にし、たくましく生きる子
(3)めざす学校像
・子どもたちにとって 「学びたい学校」
・教職員にとって 「働きたい学校」
・保護者・地域にとって 「応援したい学校」
(4)めざす教師像
・子どもの心によりそい、子どもを主役にできる教師
・強い使命感と信頼される教師
・自らの力量を磨き、協働し合う教師
校章の由来
本校は、昭和30年1月1日に太子町に編入合併された旧龍田村を校区とし、その中央に位置している。この地は、聖徳太子ゆかりの地で、法隆寺領としていにしえより栄えてきた。「播磨風土記]の枚方の里の条によれば、この地を佐比の岡(現、佐用岡)と呼び、その名付けた訳は、神尾山におられた出雲の大神の怒りを鎮めようとして佐比(鋤)を作って祭ったからとある。「土は中の上]と記され、古代から耕作に適した肥沃で豊かな土地柄であったことが知れる。
明治22年には、旧龍野藩領と旧林田藩領が合併して龍田村となっているが、本校の創立はそれに先立つ明治8年6月である。
校章は、「小」の字を中心に配置し、その周りに「ツ」を上にして「タツタ]というカタカナ文字を図案化して丸く囲むように描き、その外周を8枚の花弁が取り囲んでいる形である。

沿革
明治8年6月
進徳小学校を佐用岡字横田に創立
明治18年8月
西脇村秋成小学校と合併し、広坂村に於て成徳小校と称し、元秋成、元進徳両校を支校となす。
明治20年4月
両支校を廃し広板付に移転
明治24年6月
校合を佐用岡字横田に移転
明治34年4月
佐用岡字堂の後に新校合建築
明治45年4月
高等科を併置し、龍田尋常高等小学校と改称
大正5年10月
新校舎落成
昭和2年10月
校合四棟移転、講堂落成
昭和16年3月
小学校令改正により龍田国民学校と改称
昭和22年4月
龍田村立龍田小学校と改称
昭和25年5月
新校舎落成
昭和28年9月
校合増築工事落成
昭和30年1月
太子町と合併、太子町立龍田小学校と改称
昭和35年8月
プール施設完成
昭和36年3月
給食室竣工
昭和38年3月
屋内体育館完政、創立八十八周年記念事業実施
昭和46年2月
特別放室(理科・音楽)竣工
昭和49年4月
学級増に伴うプレハブ教室増築
昭和50年4月
新校舎建築によるプレハブ教室増築
昭和50年10月
鉄筋三階建校合竣工
昭和50年11月
創立百周年記念事業実施、校歌碑竣工
昭和56年2月
校舎増改築竣工
昭和59年3月
体育館竣工
昭和59年9月
運勤場暗渠工事完成
昭和59年11月
学校園完成、体育倉庫と物置完成
昭和61年7月
プール新施設完成
平成2年8月
校内視聴覚設備完備
平成8年3月
コンピュータ・液晶ヴィジョン設備完備
平成9年3月
わんぱく広場造成
平成11年8月
西館外壁改修工事
平成11年8月
わんぱく広場池改修
平成18年4月
兵庫県環境教育実践推進校指定(2年間)
平成19年3月
屋外便所改築、東児童玄関スロープ設置、特別支援教室改修
平成20年3月
19年度県民交流広場事業の助成により会議室を改修
平成21年5月
わんぱく広場ポンプ改修
平成21年8月
校舎耐震・校舎外壁・トイレ全面改修工事竣工
平成22年3月
校舎耐震・校舎外壁・トイレ全面改修工事完了
平成25年6月
校庭一部芝生化工事
平成28年3月
屋内運動場非構造部材耐震化工事、照明のLED化
令和2年3月
普通教室区長設備設置工事完了
令和3年1月
GIGAスクール、児童1人1台のタブレット配置完了
令和7年6月
創立150周年記念事業実施