斑鳩寺
法隆寺領播磨国鵤荘の中核として創建された霊刹
三重塔
国指定重要文化財
斑鳩寺の歴史
聖徳太子が、推古14年(606年)に飛鳥の豊浦宮(とようらのみや)、今の橘寺において、推古天皇の御前にて勝鬘経を講話されました。推古天皇は大いに喜ばれて聖徳太子に播磨国揖保郡の水田百町を寄進されました。聖徳太子はその地を「鵤荘」と名付けられ、一つの伽藍を建てられたのが斑鳩寺の始まりです。
聖徳太子は斑鳩寺を法隆寺に寄付されました。以後法隆寺の荘園として千年近くにわたり栄えました。
所在地
揖保郡太子町鵤709
電話
079-276-0022
聖徳殿前殿
県指定文化財
聖徳太子十六歳孝養像を安置する伽藍。天文10年の全焼後、一番最初に再建されました。江戸時代の寛文5年(1665)に再築され、また、明治43年から、大正5年にかけて従来の太子堂に、法隆寺夢殿を模した奥殿(八角二重円堂)・中殿が増築されました。
講堂
町指定文化財
本尊に釈迦如来像・薬師如来像・如意輪観音像の三尊を祀ります。弘治2年(1556)に再建され、明和6年(1769)に再修造されました。
庫裏(保性院)
県指定文化財
斑鳩寺の庫裏は、元斑鳩寺塔頭の浄土坊、古くは保性院で、文献などから慶安2年(1649)建立と推定されています。唐破風作りの玄関を持つ、入り母屋造り本瓦葺きの建物で、建築当初の形をよくとどめ、寺院庫裏の建築様式の歴史をたどる上で貴重な建物です。
木造日光菩薩立像 木造月光菩薩立像
国指定重要文化財
木造日光菩薩立像
木造月光菩薩立像 両像は、天文10年(1541)の焼失後に、本尊の薬師如来像とともに鵤荘北方の楽々山円勝寺から斑鳩寺に移されました。寄木造りで、目鼻立ちの優れた端正な相貌と、腰をわずかに左右にひねったやや細めの軽快な肉体表現など、写実的な美しい姿態にまとめあげられています。鎌倉時代後期の典型的な作例です。
木造十二神将立像 八躯
国指定重要文化財
日光・月光両菩薩像とともに、本尊薬師如来像の眷属として配置された十二神将像のうちの八躯が残されています。それぞれ異なった忿怒の面貌、すこぶる躍動的な姿態を持つものから、静的で内に力を込めた形態をとるものまで、肉体表現に示された刀法は鋭利で写実的にも優れた作品です。
木造釈迦如来坐像
国指定重要文化財
講堂には本尊として、中央に木造釈迦如来像、向かって右に木造薬師如来像、左に木造如意輪観音坐像の3体が安置されています。これらは秘仏で、2月22日(聖徳太子の祥月命日)2月23日の「春会式」に御開帳されます。
聖徳太子勝鬘経講讃図
国指定重要文化財
法隆寺伽藍縁起并流記資財帳に記された、戌午年(598)4月15日の聖徳太子が勝鬘経を講じられているありさまを描いています。
斑鳩寺周辺の文化財
昔から「お太子さんの投げ石」といって人々から尊ばれ、大切に保管されていました。この「お太子さんの石」は聖徳太子がご講義によって恩賜された佐勢の三百六十町歩の境界石として置かれたものです。
嘉暦4年(1329年)につくられた「鵤荘絵図」には12個の石が描かれていますが、現在は4ヵ所の石が県指定文化財になっています。