水をめぐる争い

太子町の西側半分以上の地域は、水量の少ない林田川を補うために、揖保川の水を、他の荘園の中を4、5キロメートルにわたって水を引いて田んぼを作っていました。また、原村(太田荘)には、南にある福井荘のための大きな用水池・福井大池がありました。このような水利体系は、中世荘園の時代に出来上がったものが江戸時代に引き継がれたものですが(今も変わっていません)、それが江戸時代を通して水争いの原因になり、そしてその水利の範囲が、龍野藩・林田藩・京極丸亀藩(飛び地)と複数の藩にまたがっていたことが、争いを複雑にしました。

水をめぐる争いの展示の様子

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