聖徳太子の投げ石 その4
「鵤荘牓示石(いかるがのしょうぼうじいし)」というのは、法隆寺に残る14世紀の「播磨国鵤荘絵図」(嘉暦4年・1329に描かれたと絵図と、至徳3年・1386にそれを書き写したという絵図の2枚ある)に、「●(黒丸)」として示されています。なんだ、それならそこにある石こそがぼう示石じゃないか、ということなんですが。
鵤荘絵図は、碁盤目のような条里地割を描いていますので、比較的正確に現在の地図に重ねることができます。そこで、今知られている太子の投げ石(牓示石)の場所はというと、絵図の「●(黒丸)」とは一致しないんです。
それでは反対に、絵図の「●(黒丸)」のところに石はないか、探してみました。12ヶ所の「●(黒丸)」のうち、たった1ヶ所、ありました。それが「桜ヶ坪の牓示石」です。しかし、牓示石として一番可能性が高いこの石には、太子が投げたとか置いたという伝説はありません。数百年の時間は、人々の記憶から色々なものを消し去り、また色々なものを付け加えてきたようです。そうして、「歴史」は、豊かになっていくのでしょう。

桜ヶ坪牓示石

桜ヶ坪牓示石は、坊主山東にある筑紫の丘斎場の東の道のすぐ東、大和会館さんの駐車場の南にあります。看板等ありませんので、わかりにくいかもしれません。