法隆寺領鵤荘

推古天皇の14年(606)、聖徳太子は天皇の要請で勝鬘経や法華経を講じました。大いに喜んだ天皇は、太子に播磨国の水田100町歩を贈り、太子はそれを法隆寺に納めました(『日本書紀』による)。やがてその地は、法隆寺のもっとも大切な荘園・鵤荘となり、天正8年(1580)、羽柴秀吉が播磨国を平定するまで約1,000年にわたって、法隆寺領荘園として続きました。そのため法隆寺や鵤荘の中心に建てられた斑鳩寺には、2枚の絵図をはじめ鵤荘に関する多くの資料が残されています。さらに隣接する弘山荘・小宅荘にも14世紀の絵図があり、現地には当時の景観がよく残っていて、太子町を含むこの地域は、中世の歴史を研究する上で絶好の地域です。
ここでは、鵤荘などの荘園絵図や『峯相記』、『鵤庄引付』、『鵤御庄当時日記』などの資料を写真で展示し、中世の人々の暮らしの様子と現在とのつながりについて、展示しています。

聖徳太子勝鬘経講讃図の展示

聖徳太子が播磨の地を賜るきっかけとなった勝鬘経講讃の様子を描いた「聖徳太子勝鬘経講讃図」(原寸大写真パネル)。原資料は国重文、斑鳩寺蔵。

中世の展示の様子

法隆寺領播磨国鵤荘を中心とする、中世の展示の様子。

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